話を書くブログ

作り話だけ。

2. お使い

「どうする?学校に連絡しておこうか?」移木はコーヒーを飲みながら言う。 「えっ、うーん…、いいよ、連絡しなくて」 ユズルは移木から目を逸らしながら言う。きっと、帰ったらまた母親と喧嘩が始まるだろう。だから、あまり移木に迷惑をかけたくなかった。 移木は了解、と言って、目の前のスクリーンに視線を戻し、キーボードを叩いている。 机の上を見ると、コーヒーのマグカップの隣に、細い黒いビンと、エナジードリンクの緑色の缶が置いてある。飲料とは思えないその毒々しいデザインを見て、よくこんなものを飲もうと思うよなぁ、とユズルは顔をしかめる。 「もしかして、結構寝てない?」 「うん?うーん、まぁ、そうだね。ちょっと面倒な用事が重なっちゃってね。ごめんね、相手してあげられなくて」 「いや、そういうことじゃなくて、ちゃんと寝なよ」 「うん、まぁ、その通りなんだよね…」 会話しながらも、移木はスクリーンから目を離さない。

移木はスクリーンに集中しているため、ユズルは手持ち無沙汰になってしまった。あまり話しかけて作業の邪魔をしたくないので、やることがなくなってしまった。時計は9時半を示していた。学校に行っていれば今頃1時間目だろう。 自分がいない、現在の教室の様子を思い浮かべる。僕がいない席。友達はゲームの話をしたついでに、「あれ、ユズルいないのか」なんて言って、またゲームの話に戻るのだろう。 授業が始まると、あれ、佐竹、今日はいないのか、なんて先生が言って出席をとって、みんな普通に授業を受けているだろう。 そんな風に、どうして皆、ただ毎日学校に通うことができるのだろう、と思う。毎日つまらないわけではない。行けば誰かに会えるし、進めたゲームの話なんかしたりして、1日を過ごすことはできる。 でも、毎日、学校が終わるたびに、明日の9時にはまたここにいるんだよなぁなんて、そう思ってしまうと、まるで檻の中に閉じ込められているような、息苦しいような感覚になる。

ポケットにしまったモンスターボールをコロコロと転がすのにも飽きてきて、適当にデスクに置いてある本を開けてみる。データ解析、とタイトルにあるからきっと数学の本なのだろう。二乗和?説明変数?一行たりとも頭の中に情報として頭の中に入ってこない。だんだん文字を読むのが苦痛になってくる。 仕方なく、ユズルはソファに戻り、自分の鞄を見る。そこに入っている教科書と筆箱を見る。 少しずつ、皆から置いていかれるんじゃないか、といったような気持ちになって、焦りの感情が芽を出す。そのまま数学の教科書を取り出す。今日の範囲になりそうな場所は、おそらく昨日やっていた場所の続きだろう、とあたりをつける。しばらく移木の作業も終わらなさそうなので、手を動かして暇をつぶすことにした。 研究室の部屋の席に座り、空いているスペースにノートと教科書と参考書を広げる。 とりあえず、この公式に当てはめていけばいいんだろう、きっと。…、あぁ、うん、合ってる。次。ん?なんでこれってこうなるんだ?答え見るか…。 ひたすら問題を解いているのにも飽きてきて、時計を見る。10時半。あまり時間は進んでいなかった。

「うーん」と寝起きのような声が横から聞こえて、振り返ると、先ほどまでソファーで寝ていたイサキが、両腕を上に広げて伸びをしているところだった。 「あ、おはよう」 「あ、ユズルちゃんか、久しぶり」 「うん」 「あぁぁ、ねっむ」 イサキはもう一度大きなあくびをした。 「あ、おはよう」 モニターから顔を上げて移木が言う。 「おはようございます…、あ、修正、どうなってますか?」 「うーん、進捗70%ってとこかな…。ちょっとね、構成変えなくちゃいけないかもね。どうする?今からやる?」 「なるほど、今…はちょっと、頭動いてないですね。一回散歩してきます」 イサキはソファーから立ち上がり、腕を右、左に回して腰のストレッチをしている。 「あ、そうだ、じゃあさ、散歩ついでにちょっと頼みごとがあるんだけど、どう?1時間くらいで終わるやつ」 「?」 イサキは首と腰を真横に曲げる。測ることができたら、きっと綺麗に直角だっただろう。 「実は、ちょっと出所不明のポケモンの卵が落ちてたって報告があって」 「へぇ」 「30番道路のあたりの家だから、そこまで遠くはないんだけど」 イサキは姿勢を戻して、今度は首を前に曲げる。 「まったく、うちはポケモンの保護施設じゃないんですけどね」 「まぁまぁ、かと言ってポケモンセンターに預けるのも、ほら…」 移木とイサキが揃ってちらっと僕の方を見る。 「まぁ、確かに、それしかないですかね…。僕らも専門じゃないんで、ちゃんとした設備があるといいんですけどね」 「じゃあ、お願いしてもいいかな、これ、鍵」 イサキは鍵を受け取る。 「じゃ、行ってきます。ユズルちゃん、行かない?あ、それとも勉強で忙しい?」 イサキが見ているのは広げておいた勉強道具だ。 「ううん、これは大丈夫、行こ」

研究所の裏にある、3人乗りの乗用車に乗り込む。 シートベルトをつけ、車が発進する。ユズルはずっと、窓の外を見ていた。 「そういえば、今回のおじいさん、綾瀬さんっていうんだけど、聞いたことある?」 「えっ、ううん、ない。なんで?」 「時々研究室に電話をかけてきて、やれ向こうでポケモンが怪我してるだの、卵を拾っただの、何かあるたびにこっちにかけてくるんだ」 「へぇ、いい人じゃん」 「いい人なことには変わりないよね、まぁ、強いていうなら俺が面倒臭いっていうくらいかな。手が空いてると毎回俺に行かせたがるからね、教授は」 「ふうん」 前の景色を見る。道路の脇は、整備されたコンクリートから、進むにつれて、田んぼと木々の比率が増えていく。その様子をただなんともなく眺めていた。 ふっと思いついて言う。 「そういうのって、ポケモンセンターに預けるものじゃないの?」 イサキさんがこちらを振り向いた。 そのまま何も言わないので、続ける。 「えっと、ずっと前なんだけど、前にポッポが怪我して動けなくなってたことがあって、それで友達とポケモンセンターまで連れてったんだよね。その時はジョーイさんに受け入れてもらったんだけど。だからさ、そういうときは研究所じゃなくって、ポケモンセンターに預ければいいんじゃないのかなって」 イサキは前を見ていた。その様子は少し何かを考えているようだった。 「確かに、うーん、すごく鋭い質問だね、それ」 「え?そうなの」 褒められて悪い気はしない。 「ポケモンセンターに預ければ、っていうのは確かにその通りで、だけど、おじいさんにはちゃんと僕らに預ける理由もあるんだよね」 「え?何?」 ユズルは聞き返す。 イサキはうーん、と言って少し黙った後で、 「じゃあ、帰りに教えることにしよう。それまでは、ちょっと推理してみてよ」 「えー、それって隠すようなことなの?」 ユズルは首をひねるように左右に動かす。 「まぁ、言っちゃってもいいんだけどね、綾瀬さんの家に行ったあとで正解を言うからさ」 「…わかった、でも、なんだろう」 ユズルは窓の外を見る。 ポケモンセンターに預けたくない理由、かぁ。あとは、なぜわざわざ教えずに質問にしたのか。少し考えたけれども、答えは出ず、ユズルの思考は今日休んだ学校のことにシフトしていった。

その会話から5分ほどで綾瀬さんの家に着いた。 到着した家は森の中にポツンとある集落のような家の集まりの中にあった。築50年以上あるかと思われる家のドアの左にあるチャイムを押すと、エレブーが出迎えてくれた。大分年月の経ったであろう木の廊下を通って、客間に通してもらうと、部屋の隅に布団に包まれた直径50センチほどの卵が見えた。卵にはいくつかヒビが入っている。 客間と思われる部屋に通された。 私は家の中を見渡す。どこの国のものかわからない小物や、使いかけの電池など、脈絡のない小物が棚に並んでいる。ただ、部屋の中は綺麗で、日当たりもある。畳のすっとした香りがして、いい家だな、とユズルは思った。 5分ほど待つと、おじいさんがお茶を持って客間に入ってきた。 床は畳になっている。こういうときには正座をしておくのが良いだろうか、と思い直して、あぐらから正座に切り替えた。 「遠いところをありがとう。あぁ、またかわいいお嬢さんだ、うちの孫ももう、すっかり大きくなったからね、それくらいの頃にそっくりだ、懐かしい」 僕はなんと言っていいかわからなくて、頭を下げておく。 「それが、例の卵ですか?」 「うん、昼間、山の方でポッポたちに運ばれそうになっていたのをなんとか追い払ってきたんだ。」 といって、隣の部屋にある、布に包まれた卵を持ってきた。 それで、あんたたちに保護を頼みたくってな。預かってくれるんだろう?」 こうして見ると、ポケモンの卵は不思議な形だ。大きさは枕ほどの大きさで、おじいさんが卵をイツキさんに渡すと、その部分がすこし凹む。弾力性があるようだ。 「ええ、こちらで責任を持って預かります。まだこちら側のポケモンたちのコミュニティの整備も完璧とは言えません。連れてきたポケモンたちを全員助ける、と言うわけにはいかないのですが、ほんの少しずつなら受け取りしていますよ。」 「うん、良かった良かった。ううむ、役所にも連絡して見たのはいいものの、まったくあてにならんでな…。本当に移木先生様様、というところだな、さっそくなんだが、これ、なんのポケモンの種類かわかるかな?」 「まぁ、大抵ポケモンの卵は見分けがつかないものでして…。平均からすると結構小さいですね。ただ、小さすぎはしないので、虫ポケモンではない可能性が高そうですね、もしかすると哺乳類型かもしれません」 「なるほど…、ポケモンの卵を見るのは久しぶりでね、もし、そのポケモンが孵ることがあったら、わしの方に知らせてもらうことはできるかな?どのポケモンだったか確認するだけでも良いからね」 「はい、わかりました。生まれた時にお知らせします」 ありがとう、とおじいさんは満足したようだった。 帰りはおじいさんが家の前まで送ってくれた。 「長く話してすまんかったな、お嬢ちゃんも最後まで大人しく聞いていて偉いな、お菓子を持ってくるからちょっと待ってな」 といってお菓子の箱を手渡してくれた。 「はい、ありがとうございます」と頭を下げる。なるほど、僕は小学生か何かだと見られているな?

1.寄り道

朝、7時。ポケギアは…、と無意識に手が携帯端末を探すが、落として画面を割ってしまったので、移木博士に修理を頼んだことを思い出す。
よろよろとベッドから身体を起こす。さっと顔を洗ったあと、下に降りる。
昨日の口論のあとだったから、少し気まずさが残っている。しかし降りないことにはしょうがない。

食卓のテーブルには今日の弁当と、その残りからとった朝食が置いてあった。ご飯までよそってある。ユズルは箸を手に取り、茶碗を左手でとる。
母さんはキッチンには見当たらない。ジャー、と部屋の向こうから水音が聞こえる。洗濯しているのだろう。
なんとなく無言で食べるのも気まずくて、側に置いてあったリモコンでニュースをつける。知らない土地の、知らない人たちの事件を、ただ見続ける。

殺人事件のニュースが流れていた。犯人の顔写真が映る。若い。息子が、父親を包丁で刺した事件のようだ。加害者は18歳。自分より3つ年上。何かに不満があってたまらないような、それとも真面目な顔をしているが特に何も考えていないような、判断のつかない表情だった。自分とこの人、何が違うだろうか、とふと思う。例えば、もし、ここで包丁を持って母さんを一度刺すだけで、自分はこの人と同じ位置に立つことになる。何も違わないのではないだろうか。少なくとも自分に今その気がないだけで。

食べ終わったので、食器をキッチンへ持っていくと、そこで母さんと鉢合わせになった。
「あ…」
と声に出すが、その先は続かない。母親は立ち止まって、無表情で、こちらを見下ろすように立っている。
「…おはよう」
なんとか声に出すと、
「おはよう」
と応えてくれた。無言で立ち尽くす。母親に背を向けて部屋に戻ろうか、と一瞬悩んだ。
「移木さんから、ポケギア直ったから取りに来て欲しいって。あんた、ポケギアの修理、移木さんに頼んでたのね」
「あぁ、うん、直してくれるって言うから」
「そう。今度、お礼にお菓子持っていかないと」
「え、いや、いいよ」
口が滑った、と言ってから気づいた。
「お世話になっておいていいとは何?そんなことも…」
と続かないうちに
「わかったわかった、僕が渡しておくからさ」
と先手を打つ。これ以上くだらないことで喧嘩をするのは避けたかった。母親に背を向けて階段を登る。
綺麗に畳まれて、部屋の前に置かれているワイシャツを着て、制服を着る。そして、ヒノアラシモンスターボールをそっと、ポケットの中に忍び込ませた。

ポケギアがないので、誰かが自分にメッセージを出していても気づかない。まぁ、大した用事もないだろう。あまり気にしないことにする。どうせ大した用事はないだろう。部屋の時計を確認すると、そろそろ出発の時間だ。家を出る。家を出るときにちらりとキッチンの方を見ると、無言で洗い物をしていた。
風が強い。髪の毛が崩れる。ところどころに設置されている風向機を見ると、そのどれもが東を指し、一定のリズムで回っていた。

外を見ると制服を着た男女が歩いているのが見える。隣の吉野村の方面から着ている人も少なくない。この村は人口こそ多くないが、若葉村に学校が全て集結している。そのため、近隣から学生が集まってくる。学校のある時間帯は、この村の人口の半分は学生なのではないだろうか。
ユズルは、学校に行く群れの中に混じりつつ歩く。周りの奴らは隣の友達と話しているか、そうでなければポケギアを操作している人ばかりだった。周りに知り合いはいない。道にあった石ころを蹴りながら進む。どうも気が重たい。
ふぅ、とため息を一度つく。学校、生きたくないな。一度そう思ってしまうとその考えは纏わりつくように頭から離れない。どうして皆、何も思わずにあんな場所に毎日行くことができるのか不思議でならない。

少し強めに石ころを蹴ると、石ころはコンクリートの地面を不規則に転がり、はるか右に逸れていってしまった。わざわざ石ころのために自分の進む方向を変えるのも何だか癪で、まっすぐ歩く。車一台が入るかどうかわからないくらいの、小さな道。
前には2人の女子。顔を寄せて仲が良さそうに話している。後ろを振り向く。男子が二人、それぞれのポケギアに集中している。近くにいるのはその二人だけだった。
右の道に入っていっても、どうせ気づかれないだろう、とユズルの頭の中ではすでに寄り道をする算段を立てている。
何気なさを装って道の右側に寄る。前にいる女子は話に夢中だ。ちらりと後ろを見るが、まだ後ろの男子二人はポケギアに夢中になっている。
曲がり角のところで、何気なさを装って右に曲がる。こういうときは自然さが大事だ、とユズルは思う。たとえ見られていなくても。そこから先は少し早歩きになる。できるだけ後ろから見えない位置に移動したい。すぐそこの民家の生垣の低い場所に身を寄せる。そして、その隙間からちらりと後ろを覗く。後ろを歩いていた二人はこちらを振り向くことなく前に進んでいた。よし、見られなかった、と少しの達成感。
そして、少しの不安。もし学校から家に連絡が入ったら、とユズルの頭はすでに言い訳の算段を立てている。また母さんにぐちぐち言われるんだろうな、という嫌な気持ちが頭をよぎる。目的は達成できたが、そこまで気分が晴れるわけではなかった。

そして、今来た道を戻って行く。学校とは逆方向。できるだけ誰も通らない道を選ぶ。目的地は決まっていた。
10分ほど歩いて行くと、村の境の付近に出る。そこに着くまでに、誰かと出くわすことはなかった。
村の端っこにある、きっちりと真四角な、グレー一色の建物。横に長い3階建ての建物だ。無機質なその大きさの形状、そして塀までも同じ色であることが、他の建物とは少し違う雰囲気を醸し出している。ユズルは「移木研究所」と白い文字が書かれた透明な自動ドアから、中に入った。

中は、外観より明るいグレーで、照明も多い。一階は電気がついている部屋がいくつかあったものの、人の姿は見えなかった。移木の研究室は二階にある。階段を上がり、ガラス張りの椅子が列んだ部屋の奥にある部屋の前に行く。入り口のドアには難解そうな文章がなぜか沢山貼られている。
3回ほどノックした後で、ドアが開いて、眠そうな男性が姿を見せた。目が少し閉じている。
「はいはい、勝手に入ってって…、あ、ユズルくんか」
移木の目が少し開いた。彼にとっても意外な来客だったのだろう。
突然現れたことを、嫌がられなかったことに少し安心して、笑みがこぼれる。
「まぁ、中に入ってよ、ほら」
ドアを開けて中に入れてくれる。移木はユズルの後ろでドアを閉める。
「そうだな、何か飲む?っていってもコーヒーしかないんだけど」
「うん、コーヒーでいい」
「オーケー、ちょっと待ってて」
移木はコーヒーメーカーまで近づいて、スイッチを押す。ガー、と喧しい音の後にコーヒーが注ぎ込まれて行く。その間にユズルは部屋の様子を眺める。部屋の中は、コンピュータの乗ったデスクで占められていた。そのデスクの、小さな隙間を敷き詰めるように大量の書類、そしてポケモンのぬいぐるみが置いてある。ムウマにゴースト、何故かゴーストタイプのポケモンの人形ばかりだ。
そして、部屋の隅にあるソファーで、一人の男性が、口を開けたまま、毛布をかけて横になっている。移木博士の助手のイサキさんだ。何度か話したことのある顔だった。
「イサキ君の論文発表が近くてね。僕も、その直しのためにずっと起きてるってわけ。結構有名な投稿誌に載るなんて機会、滅多にさせてあげられないから、こっちとしても全力で見てあげなくちゃなってね」
移木は頭の後ろをガシガシとかく。眠さのためかその手の勢いが意外に強くて、ユズルは少し不安になる。

「ごめん、…タイミング悪かった?」
「あぁ、いいよ、気にしなくて大丈夫。最近はいつものことだから」
はい、とコーヒーの入ったマグカップを渡される。
移木は部屋の奥にある自分のデスクに座る。他のデスクと違って隙間が沢山ある。ただし、机の上に大量の書類が積まれていることには変わりない。
ユズルは座れる場所を探して、結局、イサキさんが寝ているソファの開いているスペースにちょこんと座った。
「…で、きょうはどうしたの?」
「え、あ…僕のポケギア、直ったんだよね?」
学校をサボってきたことは言わないことにする。
「あぁ、そか、そうだったね、ちょっと待ってて…」
今この時間にきたことについて、追求はされなさそうだ、とユズルは少し安心する。
移木はデスクの後ろにある引き出しを開けて、携帯端末を取り出した。
「はい、これ。まぁ中のアップデートがうまくいってなかったから、一回初期化してやり直しただけなんだけどね。まぁ部品が壊れてなくてよかった」
「へぇ、ありがとう」
電源をオンにすると、ポケギアが立ち上がった。
「どういたしまして。で?こんな時間に来るってことは…サボりかな?」
「うっ」少しよろける格好をする。既にバレていたみたいだ。
「ふふ、どうやらその通りみたいだね」
そう言って移木はコーヒーをすするように飲んだ。

0.決意

16歳、義務教育であるジュニアスクールを卒業した時点で、僕らには、幾つかの選択肢が与えられる。1つは、このまま進学すること。
余程の理由がない限り、大半がこれを選ぶ。もう1つの選択肢は、就職すること。これも比較的レアケースとなるが、親の跡を継いだりするケースもあるようだ。
もうひとつ。旅に出ることが許されている。これは割と伝統的なものだ。実際、そんなことが可能なのかと言われれば、本当に人それぞれだ、としかいいようがない。期間は人によってまちまちではあるが、やはり子供で、今まで学校という狭い空間にいた後で放浪を続ける、というのはやはり難しいものがあるため、大半が1年から2年でまた戻ってきて、進学する、と言ったケースが多い。

母親がため息をつくように言う。
「ほら、サクヤさんだって、絶対成功するぞって言って出ていって、1年も経たないうちに帰って来ちゃったの、あなたも知っているでしょ」
その話は3回目だ。それに、1年は経っている。サクヤさんは僕の3つ上で、この若葉村の中で、当時一番強かった。村から初のポケモンマスターになれるんじゃないかってみんな期待して、村総出で送り出しなんかしたけれど、1年半くらいで諦めて帰って来て、今では外の大学に通っている。母さんだって、16歳なのにちゃんと自分で決めるなんて偉いって、当時旅に出たサクヤさんを、あれだけ称賛していたくせに。

それに、今考えると、サクヤさんもポケモンに関しては素人だった、とユズルは思う。流行りのポケモン、流行りのスタイルを身につけて僕らに見せびらかせるような人だったからだ。今やもう、流行りのスタイルを真似すれば勝てる、そういう世界では既になくなっている。

「ねえ、私の話なんて全然あてにならない、そう思ってるでしょ」
ユズルはリビングの隅にあるテレビを横目で見続けている。電源はついていない。口論していると、部屋の中が暗くなったように感じる。
「別に、旅に出ることが悪いって言ってる訳じゃない。でも、今の時期でそんなすぐに決めるのはどうかと思う。それに、高校に入ってからだって、ジムへの挑戦資格は継続する、そうでしょ?」

「そうだけど、それは部活とかに入ってやるってこと?」
仲良しごっこに付き合ってジムに挑むつもりは毛頭ない。
「それは、貴方が誰と行動したいかっていう話。部活に入る必要はないでしょ。少なくとも自由に行動できる。あなたのその決断のリスクが高すぎるのはわかっているでしょ?」
…。ユズルは押し黙る。この話が平行線を辿るのは既にわかっていた。
「…つまり、俺に諦めろって言いたいんでしょ?」
「いや、そうとは……うん、そう。そういうこと。今は、諦めてほしい、そう、思ってる」
「なんで?」
「それはさっき話した。リスクが高すぎるから…、いや、うん、ユズルは、別にそんな道じゃなくて、ちゃんとした道を通ってほしい。成績だって、自分が良い方に入るっていうのは、知っているでしょう?…だから、ちゃんと安全な道を選んで欲しい。それが私の役目だと思ってる」
「それは…身勝手って、そう言うんじゃないの?」
「どっちが身勝手よ!?」母親の声には怒気が混じる。
「…もういい」
ユズルは話を切り上げて、二階の自分の部屋に戻る。
まだ母親は何か言おうとしていたが、それには耳を貸さない。これ以上話しても喧嘩になるだけだ。
「…もう!」
母親の怒気が下から聞こえる。


部屋に戻り、ベッドに腰掛ける。
ふう、と一度ため息。
ポケットに入れていたモンスターボールから、ヒノアラシを呼び出す。
ヒノアラシの背中につく炎が青い。この色になるときは繊細になっている証拠だ。どこまで状況を理解しているのかはわからないが、心配してくれているのは伝わる。
それを見て、聞かせて悪かったな、とユズルは反省した。
ヒノアラシを膝に乗せ、頭を撫でる。
気持ち良さそうに目を細め、しかし、その細い両目は僕を捉え続けている。
うん、解ってる。
なんと言われても、自分の気持ちに変わりはない。でも少し、気持ちの整理が必要だ、と思った。
ヒノアラシを片腕で抱えたままPCの前に座り、wcsの最新ニュースをチェックする。最近の流行りのどうぐ、育成論に関する情報は出来る限り抑え、情報収集は欠かさないようにしていた。
そして、大事なフォルダの中に入っている写真の一枚を眺める。
あの頃。10歳の自分が、写真の中で目をキラキラさせている。憧れのポケモンマスター・智さんと一緒に撮った写真だ。短いけれど、いろいろなことを教わった。彼の言うことはどれも新鮮で、自分は何度もその言葉を復唱し、いつでも実践できるようにしていた。そのどれもをよく覚えている。
5年前の、智さんと最初にした会話を思い出す。
「いいか、最初に出会ったポケモンは相棒だ。常に一緒にいるんだ、いつ、どんなときも、どんなことがあっても、だ。そうすれば、いろいろなことがわかってくる」
「…たとえば、どんなことなんですか?」
「お、いい質問だな」
嬉しい。満面の笑みでそれに応える。
「そうだな、答えてあげたいんだが、今、それを俺の口から、言うことはできない。俺が今それを言ってしまうと、それは俺の言葉になっちゃって、君の言葉じゃなくなる。自分の言葉で、それを見つけるものなんだ。」
「ふうん…?」
そんなものなのか。よくわからない。首を傾げていると、はははっ、と智さんが明るく笑った。
「そうだな、わかんないよな、じゃあ、簡単にだけど、ヒントだ」
うん、と頷く。
ポケモンマスターっていうのは、なんだ?」
「え?」
急に、そんなことを言われてもわからない。
ポケモンマスターになったら、どうなるんだ?」
智さんの笑顔はそのままだ。しかし、ユズルを見る目が少し鋭くなった。
「どうなるって…、ジムを制覇して、四天王を倒して、今度は海外に出て…、もっともっと強くなっていくって…」
自分の声が硬くなっているのを感じる。少なくともあっていることを言っているつもりだ。だが、これが彼が求める正解出ないことは、なんとなくわかる。
「実際にやるのは、そうだ、その通り。よく勉強してるな」
「へへ」頭をかく。
「でもな、それが一番大切なことか、といえばそうじゃないんだ。いるだろう?世界一じゃなくたって、素敵なトレーナーが、沢山。誰か、トレーナーで他に知ってる人はいるか?」
「…たとえば、ワタルさん、とかですか?」
憧れの智さんに、何にも知らない、とは思われたくない。この地方の四天王のトップの人の名を挙げる。
「そうだな、あの人は凄い。わずか一代で破産直前のジムを立て直して、四天王まで立ち上った人だからな。まぁ、最近は四天王というよりは実業家のイメージの方が強くなってはいるけどな。まぁ、そういうのも一例に入るな。あの人は、結果として、「世界一強いトレーナー」とは違う道を選んだ。あの人ならきっと、それを目指すこともできたのに、だ。その他にだって、もっとたくさんの人がいる。それぞれの人が、それぞれの道を選んで、強くなっていくんだ。お前にとって、強くなるっていうのはどういう意味を持つんだ?トレーナーになって、世界一のポケモンマスターになって、何がしたいんだ?」
「それは…」
そんなの、考えたこともないし、よくわからない。ユズルは戸惑う。
「そうだ、普通は、わからない。だから、考えるんだ。俺は、その答えのための一番のヒントが、一番最初に出会った相棒と、ずっと一緒にいることだと思ってるんだ。だから、ごめんな、これは答えじゃないけど、ちょっと信じてみてほしい」
「…わかりました」
「いい返事だ。じゃあ、頑張って。もし、また会えた時に、お前の答えを聞かせてくれたら、俺はそのときが最高に嬉しい」
「はい!」

……なんのためにポケモンマスターを目指すのか、その答えが出せたかといえば、まだ、出せていないと思う。
いくつか選択肢はある。例えば、村のみんなに喜んでほしい、とか、自分が有名になりたい、とかだろうか?でもそれは、少し違う気がする。何故だかはわからないけれど。
今のこの状態で、智さんに会えるか、といえば、まだだと思う。もう少し、何かを掴むことができてから言うべきだ。しかも自分はまだそのスタートラインに立っていない。まずは、母親にちゃんと言わなければ、と思う。
でも、今日は寝てからにしよう。僕はもう大丈夫だよ、というようにヒノアラシの頭を撫でる。すると、ヒノアラシの背中の炎に赤が混じり始める。自分も、少しはましな表情になっているのかもしれないな、と思えた。
そして、ヒノアラシモンスターボールに入ってもらった後、PCを消し、寝た。

ビント・スクリーン

昼前。3限が始まるまでの時間。
いつものように、キムはゲームの前に座り、格闘ゲームのコンボの練習をしている。自分も何度か挑んだことはあるが、到底わからなくて、ただ負けるのを待つだけの時間になってしまうから、最近は挑むことを諦めていた。
ーーな、やろう
キムの隣に座ってそう言うと、キムはちらりとこちら見る。コンボが終わったキリのいいところで、ps3の電源を切り、代わりにwiiのセットアップを始める。
テレビの前で誘う目的は一つしかない。
セットアップが終って画面を付けたあと、キャラを選ぶ。カーソルを左に持っていき、ピーチを選択する。キムは、左上のドンキーコング。2人とも選び終わったところで、ステージを選択する。場所は「終点」。ここまでの時間は約1、2分ほど。
5秒ほどの待ち時間の後、何もないシンプルなステージに立つ2人のキャラクター。

レディ、と一度溜めてからゲームスタートの合図。タイミングは、手が覚えている。
さあ。
カブを抜く。
ドンキーはその場でブンブン、と溜めを始める。
僅かな膠着。
カブを抜いた時点で準備は完了している。待ってやる時間なんてない。
即座に距離を詰め、カブを投げる。
同時に、追撃のため、跳ぶ。
カブを防がれる。
ジャンプした状態のまま、空中前Aで追撃。
これも全て防がれる。
続いて、もう一度弱A。
これくらいは入っても良いだろう、という希望的観測。
これも全てガードされる。残念。
もう、これ以上の追撃はダメだ。
回避で後ろに下がる。
その僅かな時間の後、ドンキーの後ろ蹴りが来る。
それはもう、躱したあと。

更にもう少し後ろに下がり、カブの準備。
それを待っていたかのように、ドンキーが前進。
後ろを向きながら。
ジャンプ後蹴り。
回避。
もう一度、追うように後ろ蹴りを重ねられる。
今度は回避が間に合わない。
左に吹っ飛ばされる。
そのまま、地面に着地する前にもう一度、ドンキーの後ろ蹴りが当たる。
手痛い。

ステージに一旦倒れる。
ピーチが倒れたその真上で、ドンキーが立ち止まる。
その位置は起き上がり攻撃待ちだろう、きっと。
即座に反対側に回避で抜ける。
ドンキーはガードを入れる。
読み通り。
さらにもう1ステップ分下がる。
B下。カブを抜いて次の攻撃の準備。

もう一度。
今度は跳ばず、地上から攻める。
回避とcスティック右同時押し。
滑りながらカブ投げ。
防がれる。
問題ない。近づければあとは殴るだけ。
弱A。
それもガードされる。
そこまでは先程と同じ。
小Aが1度入った直後、Aから手を離しZ。掴みを入れる。
入った。
一度決まったらこっちのものだ。
下投げ。
どれくらい浮くかな。
投げ硬直が終わった直後、吹っ飛ぶドンキーに合わせて跳ぶ。
空中下A、更にもう一度下A。
ドンドン。銃弾を撃ち込んでいるようだ。気持ちがいい。
最後は、空中上。
全弾ヒット。
ドンキーは空中に上がる。
まだ、いける。
地上に着いたらB下でカブを持つ。
空中進行方向に向かって、放り上げる。
ドンキーが避けた後の硬直を待って、空中NA。
ヒット。
ドンキーは左に飛んでいく。
フィールドで着地。
起き上がりを狙ってもう一度、カブを投げる。
ドンキーは1ステップ分後ろに回避、当たらない。
捕まらないか。

まあいい。
十分すぎるほど削った。
さて、もう一度。
またB下でカブを掴む。
もう一度。
回避+cスティック左でカブを投げつつ接近。
弱Aを入れるその瞬間。
溜めていたドンキーのNB。
こちらの攻撃は全て無効。吹っ飛ばされる。
横目でパーセンテージを確認。
変動は30%、今のでアドバンテージを全て返された。痛いな。ため息。
空中に浮く。
基本的には浮いた方が不利。
追撃して来る。

ドンキーの空中上A。
そのタイミングで浮遊する。
一時的に落下ストップ。
あと少しのところでドンキーの攻撃は届かない。
諦めて、急降下で降りていく。
面倒なのはここから。
ドンキーが着地地点で待つ。
動きが少ない独特な動き。スティックを上に上げたまま上強を狙っているな、とわかる。
狙いは知りつつも、そのまま降りる。
真下にはドンキー。
上強が来る。
残しておいたジャンプで回避。それは分かってた。

攻撃の後に生まれる隙。

その隙を狙って空中後ろA。
これも躱される。回避が間にあってしまったようだ。
続けて。
地上に着いた直後、地上浮遊から空中下A。4連。
しかし、これは後ろ蹴りで阻止される。左へ吹っ飛ばされる。
ダメージが溜まっているため、先程より吹っ飛びが大きい。

ステージ左側から外に出される。
凝った動きは要らない。最短の動きで崖に掴まる。
ドンキーは崖の上に立ち、溜め。
隙だらけの動きだ。
余裕ぶっている、そういう動きだ。偉そうに。
下スティックで崖から手を離し、直後に上スティックに切り替え。
そこから間を置かずに低空浮遊を入力。
ほぼ隙無しの崖上がりができる。
隙ができた。
浮遊を続けたまま、下A。4連すべては入らない。追撃も不可。
ドンキーは上に持ち上がる。
下Bでカブ。
回避rを押し、滑りながら上に放り上げる。
今度は命中。
ポコっと音がする。
よし。当たったのであれば。
落ちてくるドンキーの下に潜り込むように入り上スマ。
斜め右方向に飛ぶ。クリティカルは逃したか。

ドンキーは右側場外へ。
崖の前で立ってB下。カブを抜く。
少し跳び、右に向かって投げる。
復帰のための最適点の、少し上へ。
避けられる。それは予測済み。
避けた硬直で、ドンキーの行動を崖復帰に限定できる。
ベストの位置から少し遅れてドンキーが復帰。
向かう先は崖。
復帰を咎めるのは基本無理。代わりにドンキーが崖に着いてからの準備。
B下でカブを抜き、上に放り投げる。
崖起き上がりのタイミングと被ってカブが落ちてくることが多いので重宝する。細かくは考えない。
行動は4択。
起き上がり攻撃と、起き上がり回避、ジャンプ、待ち。
そこからジャンプの選択肢を消去。ジャンプしたタイミングで放り投げたカブに当たるからだ。
故に3択。
ドンキーは崖から手を放し下へ。
即座に復帰で崖に戻る。
待ちか。
もう一度カブを拾って投げる。
ほら。どうする?
僅かな時間のあと、ドンキーが崖から起き上がる。
こちらは少し離れて地上浮遊。
起き上がり攻撃か?
それなら、終わり次第空中横Aを叩き込めばいい。
どうする?
起き上がりのあと、攻撃はなかった。
あ。読み抜け。
即座にドンキーが上スマに入る。
浮遊のせいで避けるのに間に合わない。くそっ。
斜め左上に吹っ飛ぶ。
パーセンテージは84を示している。そろそろまずい。
追うようにドンキーが跳んで迫ってくる。
そろそろ決めようってか。
空中B右、ふわっと右に移動する。
速度も遅いし硬直も長いが、避けるにはこれで充分。

ドンキーはまだ空中、着地刈りを狙えそうだ。
着地するタイミングを狙って、こちらから寄っていく。
押し付けるように空中後ろA。
避けが入るが、最後の一瞬だけこちらの方が長かった。ドンキーが横に飛ぶ。
もう一度。
今度は空中前Aを着地に合わせて。
これも命中。
そろそろか…重いな、まだバーストには至らない。
崖に合わせるようにドンキーが復帰。
カブを上に放り投げ、今度は崖の無敵時間に合わせてジャンプ。距離を合わせる。
3択。
次は…起き上がり回避か、それは対応できる。
真っ直ぐ下に少し降り、回避が終わったタイミングでNA。ドンキーはまた場外へ。
即座にドンキーが復帰、今度はステージの真ん中へ。
追いかけて掴む。今度は上投げ。
浮いたところを追撃。
追いついた。回避されるのはもう分かってる。
それを待ち、回避の一瞬あとで、空中上A。
ふふ、これは避けられまい。
終わりだ。
キャラが遠くに流れるのは場外まで出せた印。

画面からドンキーの姿が消えるとともに、現れる「game set」の文字。
コントローラーから手を離す。
俺はふふん、と得意気に笑って、顔の向きは変えず、目線だけ隣を見る。
キムの視線は画面を向いたまま。
お、悔しがってくれてるな。
ーーなあ、もう一回やる?
その言葉に対して頷きもせず、手早くドンキーの色を変える。
さあ、楽しくなってきた。次はどうしようかな。
ふと後ろを見ると、一つの将棋盤に対して、5人も集まって感想戦に熱中しているようだ。対局してる方が置いてけぼりになってない?大丈夫?
あ、そろそろ12時55分。ここの時計って、今ずれてるんだっけ。今何時だ?
「そろそろ3限行かないとなー」
後ろから声が飛んでくる。
「は?お前3限行くの?格好悪っ」
「授業行くのに格好いいも悪いもないだろ」
「え、ほんとに行くの?」
「…行きたくなくなっちゃったじゃんか」
あはは、と笑い声。
「な、スマブラやんない?」
「お前もほんとしょうがないな」
といって隣に座ってくれる。
「あ、俺も」
といってもう一人。
「だったらチーム戦やるか」
「やろ」

昼休みは、短い。

 

 

きっともう、こんな日は来ないかもしれないけれど。