話を書くブログ

作り話だけ。

2. お使い

「どうする?学校に連絡しておこうか?」移木はコーヒーを飲みながら言う。 「えっ、うーん…、いいよ、連絡しなくて」 ユズルは移木から目を逸らしながら言う。きっと、帰ったらまた母親と喧嘩が始まるだろう。だから、あまり移木に迷惑をかけたくなかった。 移木は了解、と言って、目の前のスクリーンに視線を戻し、キーボードを叩いている。 机の上を見ると、コーヒーのマグカップの隣に、細い黒いビンと、エナジードリンクの緑色の缶が置いてある。飲料とは思えないその毒々しいデザインを見て、よくこんなものを飲もうと思うよなぁ、とユズルは顔をしかめる。 「もしかして、結構寝てない?」 「うん?うーん、まぁ、そうだね。ちょっと面倒な用事が重なっちゃってね。ごめんね、相手してあげられなくて」 「いや、そういうことじゃなくて、ちゃんと寝なよ」 「うん、まぁ、その通りなんだよね…」 会話しながらも、移木はスクリーンから目を離さない。

移木はスクリーンに集中しているため、ユズルは手持ち無沙汰になってしまった。あまり話しかけて作業の邪魔をしたくないので、やることがなくなってしまった。時計は9時半を示していた。学校に行っていれば今頃1時間目だろう。 自分がいない、現在の教室の様子を思い浮かべる。僕がいない席。友達はゲームの話をしたついでに、「あれ、ユズルいないのか」なんて言って、またゲームの話に戻るのだろう。 授業が始まると、あれ、佐竹、今日はいないのか、なんて先生が言って出席をとって、みんな普通に授業を受けているだろう。 そんな風に、どうして皆、ただ毎日学校に通うことができるのだろう、と思う。毎日つまらないわけではない。行けば誰かに会えるし、進めたゲームの話なんかしたりして、1日を過ごすことはできる。 でも、毎日、学校が終わるたびに、明日の9時にはまたここにいるんだよなぁなんて、そう思ってしまうと、まるで檻の中に閉じ込められているような、息苦しいような感覚になる。

ポケットにしまったモンスターボールをコロコロと転がすのにも飽きてきて、適当にデスクに置いてある本を開けてみる。データ解析、とタイトルにあるからきっと数学の本なのだろう。二乗和?説明変数?一行たりとも頭の中に情報として頭の中に入ってこない。だんだん文字を読むのが苦痛になってくる。 仕方なく、ユズルはソファに戻り、自分の鞄を見る。そこに入っている教科書と筆箱を見る。 少しずつ、皆から置いていかれるんじゃないか、といったような気持ちになって、焦りの感情が芽を出す。そのまま数学の教科書を取り出す。今日の範囲になりそうな場所は、おそらく昨日やっていた場所の続きだろう、とあたりをつける。しばらく移木の作業も終わらなさそうなので、手を動かして暇をつぶすことにした。 研究室の部屋の席に座り、空いているスペースにノートと教科書と参考書を広げる。 とりあえず、この公式に当てはめていけばいいんだろう、きっと。…、あぁ、うん、合ってる。次。ん?なんでこれってこうなるんだ?答え見るか…。 ひたすら問題を解いているのにも飽きてきて、時計を見る。10時半。あまり時間は進んでいなかった。

「うーん」と寝起きのような声が横から聞こえて、振り返ると、先ほどまでソファーで寝ていたイサキが、両腕を上に広げて伸びをしているところだった。 「あ、おはよう」 「あ、ユズルちゃんか、久しぶり」 「うん」 「あぁぁ、ねっむ」 イサキはもう一度大きなあくびをした。 「あ、おはよう」 モニターから顔を上げて移木が言う。 「おはようございます…、あ、修正、どうなってますか?」 「うーん、進捗70%ってとこかな…。ちょっとね、構成変えなくちゃいけないかもね。どうする?今からやる?」 「なるほど、今…はちょっと、頭動いてないですね。一回散歩してきます」 イサキはソファーから立ち上がり、腕を右、左に回して腰のストレッチをしている。 「あ、そうだ、じゃあさ、散歩ついでにちょっと頼みごとがあるんだけど、どう?1時間くらいで終わるやつ」 「?」 イサキは首と腰を真横に曲げる。測ることができたら、きっと綺麗に直角だっただろう。 「実は、ちょっと出所不明のポケモンの卵が落ちてたって報告があって」 「へぇ」 「30番道路のあたりの家だから、そこまで遠くはないんだけど」 イサキは姿勢を戻して、今度は首を前に曲げる。 「まったく、うちはポケモンの保護施設じゃないんですけどね」 「まぁまぁ、かと言ってポケモンセンターに預けるのも、ほら…」 移木とイサキが揃ってちらっと僕の方を見る。 「まぁ、確かに、それしかないですかね…。僕らも専門じゃないんで、ちゃんとした設備があるといいんですけどね」 「じゃあ、お願いしてもいいかな、これ、鍵」 イサキは鍵を受け取る。 「じゃ、行ってきます。ユズルちゃん、行かない?あ、それとも勉強で忙しい?」 イサキが見ているのは広げておいた勉強道具だ。 「ううん、これは大丈夫、行こ」

研究所の裏にある、3人乗りの乗用車に乗り込む。 シートベルトをつけ、車が発進する。ユズルはずっと、窓の外を見ていた。 「そういえば、今回のおじいさん、綾瀬さんっていうんだけど、聞いたことある?」 「えっ、ううん、ない。なんで?」 「時々研究室に電話をかけてきて、やれ向こうでポケモンが怪我してるだの、卵を拾っただの、何かあるたびにこっちにかけてくるんだ」 「へぇ、いい人じゃん」 「いい人なことには変わりないよね、まぁ、強いていうなら俺が面倒臭いっていうくらいかな。手が空いてると毎回俺に行かせたがるからね、教授は」 「ふうん」 前の景色を見る。道路の脇は、整備されたコンクリートから、進むにつれて、田んぼと木々の比率が増えていく。その様子をただなんともなく眺めていた。 ふっと思いついて言う。 「そういうのって、ポケモンセンターに預けるものじゃないの?」 イサキさんがこちらを振り向いた。 そのまま何も言わないので、続ける。 「えっと、ずっと前なんだけど、前にポッポが怪我して動けなくなってたことがあって、それで友達とポケモンセンターまで連れてったんだよね。その時はジョーイさんに受け入れてもらったんだけど。だからさ、そういうときは研究所じゃなくって、ポケモンセンターに預ければいいんじゃないのかなって」 イサキは前を見ていた。その様子は少し何かを考えているようだった。 「確かに、うーん、すごく鋭い質問だね、それ」 「え?そうなの」 褒められて悪い気はしない。 「ポケモンセンターに預ければ、っていうのは確かにその通りで、だけど、おじいさんにはちゃんと僕らに預ける理由もあるんだよね」 「え?何?」 ユズルは聞き返す。 イサキはうーん、と言って少し黙った後で、 「じゃあ、帰りに教えることにしよう。それまでは、ちょっと推理してみてよ」 「えー、それって隠すようなことなの?」 ユズルは首をひねるように左右に動かす。 「まぁ、言っちゃってもいいんだけどね、綾瀬さんの家に行ったあとで正解を言うからさ」 「…わかった、でも、なんだろう」 ユズルは窓の外を見る。 ポケモンセンターに預けたくない理由、かぁ。あとは、なぜわざわざ教えずに質問にしたのか。少し考えたけれども、答えは出ず、ユズルの思考は今日休んだ学校のことにシフトしていった。

その会話から5分ほどで綾瀬さんの家に着いた。 到着した家は森の中にポツンとある集落のような家の集まりの中にあった。築50年以上あるかと思われる家のドアの左にあるチャイムを押すと、エレブーが出迎えてくれた。大分年月の経ったであろう木の廊下を通って、客間に通してもらうと、部屋の隅に布団に包まれた直径50センチほどの卵が見えた。卵にはいくつかヒビが入っている。 客間と思われる部屋に通された。 私は家の中を見渡す。どこの国のものかわからない小物や、使いかけの電池など、脈絡のない小物が棚に並んでいる。ただ、部屋の中は綺麗で、日当たりもある。畳のすっとした香りがして、いい家だな、とユズルは思った。 5分ほど待つと、おじいさんがお茶を持って客間に入ってきた。 床は畳になっている。こういうときには正座をしておくのが良いだろうか、と思い直して、あぐらから正座に切り替えた。 「遠いところをありがとう。あぁ、またかわいいお嬢さんだ、うちの孫ももう、すっかり大きくなったからね、それくらいの頃にそっくりだ、懐かしい」 僕はなんと言っていいかわからなくて、頭を下げておく。 「それが、例の卵ですか?」 「うん、昼間、山の方でポッポたちに運ばれそうになっていたのをなんとか追い払ってきたんだ。」 といって、隣の部屋にある、布に包まれた卵を持ってきた。 それで、あんたたちに保護を頼みたくってな。預かってくれるんだろう?」 こうして見ると、ポケモンの卵は不思議な形だ。大きさは枕ほどの大きさで、おじいさんが卵をイツキさんに渡すと、その部分がすこし凹む。弾力性があるようだ。 「ええ、こちらで責任を持って預かります。まだこちら側のポケモンたちのコミュニティの整備も完璧とは言えません。連れてきたポケモンたちを全員助ける、と言うわけにはいかないのですが、ほんの少しずつなら受け取りしていますよ。」 「うん、良かった良かった。ううむ、役所にも連絡して見たのはいいものの、まったくあてにならんでな…。本当に移木先生様様、というところだな、さっそくなんだが、これ、なんのポケモンの種類かわかるかな?」 「まぁ、大抵ポケモンの卵は見分けがつかないものでして…。平均からすると結構小さいですね。ただ、小さすぎはしないので、虫ポケモンではない可能性が高そうですね、もしかすると哺乳類型かもしれません」 「なるほど…、ポケモンの卵を見るのは久しぶりでね、もし、そのポケモンが孵ることがあったら、わしの方に知らせてもらうことはできるかな?どのポケモンだったか確認するだけでも良いからね」 「はい、わかりました。生まれた時にお知らせします」 ありがとう、とおじいさんは満足したようだった。 帰りはおじいさんが家の前まで送ってくれた。 「長く話してすまんかったな、お嬢ちゃんも最後まで大人しく聞いていて偉いな、お菓子を持ってくるからちょっと待ってな」 といってお菓子の箱を手渡してくれた。 「はい、ありがとうございます」と頭を下げる。なるほど、僕は小学生か何かだと見られているな?